2021年7月25日日曜日

相模沖からの古代日本⑨まとめ

 相模沖から見た陸上のランドマークは以下のとおり。

大山を起点にしとどの窟、鋸山が直角三角形をなす。

弁天山古墳ー長柄桜山古墳ー久野古墳群ー明神が岳

が東西に並ぶ


神津島のほかにしとどの窟、鋸山も旧石器時代からの

黒曜石産地だった。

神津(コウズ)鍛冶屋(カジヤ)上総(カズサ)

運搬のための海上交通が発達していた。

海上の島々を結ぶ海運で栄えた豪族がいた。

上総の須恵国造(すえのくにつくりのみやつこ)

さらに繁栄と安定を祈念するために古墳造営

伊豆の島々は三島大明神が作ったとの伝説あり。

明神が岳が信仰の対象だった。



それぞれに南北に対応する島々は以下のとおり。

弁天山古墳ー八丈島

長柄桜山古墳群ー御蔵島

江の島ー三宅島

寒川神社ー大島(三原山)

久野古墳群ー神津島




2021年7月24日土曜日

相模沖からの古代日本⑧八丈島

 八丈島の語源は何でしょう。

むかしは違う名前だったのかもしれないと

探してみました。

沖の島

八嶽島

女御島

などの旧名が出てきました。ほかの島々の名前

にもそれぞれ変遷があります。


八は数字の8というよりたくさんあり豊かだと

いう意味でつかわれていたようです。


八をこの島の名に使った人は島に特別な力を感じて

いたのではないかと思うのです。

八ヶ岳ー富士山ー八丈島がきれいな直線上に並ぶ

それは偶然かもしれませんが、噴火を繰り返す

恐ろしい富士山を抑え、鎮める役割を付与する

ために八ヶ岳・八丈島という名にしたかったと

思うのです。

では、八ヶ岳から東、八丈島から北のライン上に

神社があるのか・・・

噴火を抑えるには冷たい水、氷川神社がぴったり!

八ヶ岳から東にはありますが、八丈島の北からは

ずれています。

今、その交点にあるのは、宮内庁越ケ谷鴨場

この場所は荒川の治水がむずかしく、近代になって

やっと安定した土地として整備されたとのこと。

結界をつくるために神社造営というのは近代では

ふさわしくないでしょうが、ここに民間が工場を

造って穢すのはよろしくないので、鴨場という

涼しいきれいな水場として整備したのではないか

と勝手に想像しています。

これにより、富士山の怒りを鎮める結界とする。

大和朝廷が国の安寧のために脈々と続けてきた

営みの一部ではないか。

あくまでも個人的な妄想です。






相模沖からの古代日本⑦大山

 大山を中心に奇跡的なラインが見られます。

大山

秦野市桜土手古墳公園

久野古墳群

湯河原町鍛冶屋のしとどの窟

これらが西ー東に対してきれいな60度の線上に並びます。

さらに

大山

長柄桜山古墳群

鋸山

これらが東ー西に対してきれいな30度の線上に並びます。

つまり

大山を起点としたきれいな直角三角形ができます。

古墳はこの奇跡的な自然の直角三角形のパワーにあやかる

ために線上に造営されたのではないでしょうか。

さらに海上の島々との位置関係もしっかり意識して決めら

れています。

見事です。

旧石器時代の黒曜石の海上輸送のころから、島を目指し、

陸の山を目印にして生きてきた人々が作り上げた物言わぬ

科学だと思います。

それぞれのランドマークに古墳を造るようになり、のちの

時代には神社を祀り、その土地のパワーにあやかって祈り

の場としてきました。

ちなみに大山から真南へのラインは次の通りです。

大山山頂

35.440767, 139.231137

川勾神社

35.300081, 139.237963

新島と式根島の間(昔は地続きだったとの神話あり)

34.372575, 139.239110(新島港の最突端)

相模沖からの古代日本⑥黒曜石

 神津島は古代の黒曜石の産地として有名です。

古代の人々はこの石をカジ、コジ、コズ、アジ

などと呼んでいたのではないかと地名研究から

導き出した先生もいらっしゃいます。

確かに、コウヅシマ、湯河原町カジヤ、トカチ

など。


しかし、最大にして最良の黒曜石産地だった

八ヶ岳の和田峠付近にカジという地名が見つか

らないのです。


以下、なんとかこじつけるための妄想です。

1)和田峠の近くに旧道があり、そちらは古峠と

呼ばれていたとのこと。これはフルではなくコツ

だったのではないか。

2)八ヶ岳近くには安曇野があり、安曇族という海上

民族がこの地に入って定住したとのこと。

海神(わだつみ)=わだ+あずみ=和田峠と安曇野

しかし、あえて和の字をあてたのは カヅとも読

めるからではないか。カヅ=黒曜石がとれる所


3)

海神=綿津見→海+神+津見→海の神津→神津島 

わだつみ  わだ つみ つみ


国府津港も国府が置かれたかどうかより、黒曜石

のコウヅに関係あるような気がします。


あくまで妄想です。



相模沖からの古代日本⑤須恵国造

古代、上総に須恵国造(すえのくにつくり

のみやつこ) という豪族がいたそうです。

多くの前方後円墳があり、その中でも

5世紀末に造られた弁天山古墳は最大級

とのことです。

この古墳から真南の海上に八丈島があり

海上支配を意識した立地だと思います。

また、この古墳から真西の海の先には

長柄桜山古墳、さらに、国府津港、

小田原久野古墳群、そして明神が岳が

並びます。

明神が岳の語源はまだよくわかりませんが、

もしかしたら、伊豆の国つくり神話に出て

くる三島大明神のことかもしれません。

それで、このような海上のラインを意識した

古墳の位置関係も納得できます。

また、久野古墳群は諏訪の原公園の中です。

諏訪ではなく須恵の原だったとしたら、どう

でしょう。これだけの古墳群を擁するだけの

農業が付近に見られないとのこと、農業では

なく房総から伊豆の海上交通を支配していた

須恵の国の支配者が要所に古墳を造って

権力の安定を図ったと考えたほうが納得

できます。

国府津港から西へ延びる道を古来

巡礼街道と呼んでいます。

途中の飯泉観音への参拝の道でもありますが、

むしろ、海の民が港から真西の明神が岳を

拝する重要な道だったとしたほうが納得

できます。






相模沖からの古代日本④御蔵島

 関東の古墳巡りが楽しみです。

葉山町の長柄桜山古墳群は比較的最近発見

された古墳です。

住宅地の裏山を登ると、相模湾と富士山を

望む大きな前方後円墳が2つあります。

なぜこんなところに?

地図を見てみると千葉の鋸山と神奈川の

大山を結ぶ30度のきれいな直線上に位置

しています。

しかもこの桜山(さくらやま)から真南

の海上に御蔵島(みくらしま)があります。

おそらく海上交通を支配していた豪族が

造った古墳なのでしょう。

古代、鋸山も大山も海上からは灯台の

ようなランドマークだったはずです。

実際大山には海の神様も祀られています。

そして、この古墳を中心にした東西のラインも

興味深いです。




相模沖からの古代日本③神津島

 神津島は旧石器時代から黒曜石を産出し、

全国に運ばれていたことで有名です。

古くから海を越えた流通網が発達していた

ということでしょう。

ところで、古代の人は黒曜石を何と呼んで

いたのでしょう。文献が無い中、研究者が

地名から見つけたのがカジ・カチ・アジと

いう名前だそうです。

産地の十勝・神津島・湯河原町鍛冶屋・

鯵ヶ沢・・・確かにKDIが共通です。

黒曜石を道具に加工するときの音を

カチカチと形容したのかもしれません。

カチのとれる神津島から真北へ海を渡ると

小田原の飯泉観音があります。さらに真北に

丹沢山があります。

真北の丹沢山と真南の神津島

真西の明神ケ岳と真東の国府津港の交点に

飯泉観音があります。

観音信仰以前から大切な場所だったと思わ

れます。

黒曜石を運んでいた時代から祈りの場だった

のかもしれません。